徒然その1: VIPに囲まれインド料理

  1993年11月、京都。とある日の夕方。泣く子もだまる物理屋さん、 Affleck, Haldane, Shastryにインド料理レストラン に招待してもらったぞ! 世界でも稀有の経験ではないのか? この3人が同じレストランにいるだけでも、たいていの物理屋さんは ちびるぞっ。味はグー。ないすテイスト。というのは、 Shastryがなんと前日そのレストランの味見をしてくれたのだ。 なぜおごってもらったかって? 秘密ですぅ。

  *** 追記 ***  ダンカン(Haldane)、ついにノーベル賞(2016)、おめでとー!

徒然その2: ぷろじぇくと XXZ 伝説の山師

  1965年ごろ、美星町の田舎では水道のない不便な生活をしいられていた。 不満は、極限にたっしていた。ここに、伝説の父子が立ち上がった。 息子は、まだ小学校に入学したばかりであった。でも、なにかが違っていた。 父に導かれるまま、裏山にいった。スコップでほった。水脈だっ!  その後、この清水は水道として近隣の家族にもふるまわれ、人々の 暮らしは、そして心は豊かになった。天才的ヤマカンを持つ 伝説の山師! 後日談:このヤマカンを武器に、息子の方は 現在、物理学の研究に挑み続けている。

徒然その3: SAFE DRIVER

  1989年、夏。モスクワ。ホストの Paul Wiegmann氏が 愛車を運転しながら、助手席の K氏に向かって真剣に英会話をしている。必死に英作文 している感じがひしひし伝わってくる。 顔は完全に横を向いている。 後部座席の私と嫁さんの顔色がみるみる青ざめる。 路上駐車の車に向かって一直線、猛スピード。 Wiegmann氏は横を向いたまま、英会話に熱中。。。 おーまいがっー、ぽーる!  Mmmmmmmmmmmm 皆、生きていた。 助手席のK氏がとっさにハンドルを切ったのだ。間一髪! Wiegmann氏は言った。No problem, I'm a safe driver!

徒然その4: ランダウ研究所

  記念にと思い研究所の写真を撮った。守衛が にらむ。こちらに来る。腰に 銃が。。。ホストのWiegmann氏は芝生に座りながら物理の議論に花を咲かせている。 言葉が通じない。。。ホールドアップ! カメラからフィルムを取り出し、やっとのことで 開放された。旧ソ連のランダウ理論物理学研究所を訪れた1989年の初夏のことである。   この日は週一回のセミナーの日であり、出てくる出てくる、教科書でお世話になった先生方、天才と名を馳せる人たち。。。実は、たった一部屋の秘書室が実質的な ランダウ研究所であり、ここに人々が集う。机などの俗っぽいものは必要なし。 そこいらの芝生や小径で、初夏の木漏れ日を浴びながら「難しい物理」をやって いた(に違いない)。そんな情景にある種の感動を覚えたが、おっと、カメラは使えない。 奇しくも、私が帰国するのとほぼ同時に、旧ソ連の多くの研究者達は一斉に世界に とびだすことになってしまった。「ランダウ研究所はちりぢりになったのではなく、 至る所に支所を作ったのだ」とある人が言った。   学生のころからランダウ研究所にはある種の畏敬の念を抱いてきた。彼等の 生み出す難解ではあるがすばらしい論文に接すると、芸術作品に触れたような 感動を覚える。少しミーハーではあるが、いまでもランダウ研究所に対する 畏敬の念は変わらない。写真には残せなかったけれど、初夏の日差しを浴びながら、 難しい物理に花をさかせる彼等の姿が、今も目に浮かんでくる。 (1994年、固体物理26巻、6号に掲載)

徒然その5: 2回転半宙返り、奇跡はおこった

  1988年、春の足音まだ遠し。深夜2時ごろ。大学から自転車で帰宅路、赤点滅の信号を横断中。 きっーきっーー、ドッカン!  なんやー?   信号無視の時速70キロの車。 もろ、はねられた! フロントガラスを割って、自転車ごと宙にまった。 自転車は飴のようにゆがんだ。 空中で2回転半(推測)、立ち上がった! 「ばかやろー、気ぃつけろー」、振り上げた右腕が稲妻型に骨折。 「きゅ、きゅ、救急車、お願いします」。  即、病院へ。 全身打撲、身体中まっ青。 首の骨がゆがんだ。   もし、フロントガラスを割らず車体にぶつかってたら。。。  宙に舞わずに轢かれてたら。。。 類まれなる運動神経に一生分の運を注ぎ込んだ、決死の「2回転半宙返り」!  奇跡っつうのは、あるのだ。  後日談:自転車を壊された分と車を壊した分の過失相殺で、なんと実質、出費じゃー。弁護士にも相談したぞ。結論、自転車は車両なのね。

徒然その6:物理学者たるもの

  2003年5月某日。素粒子のK-M理論で、ちょべり有名なM先生の退官祝賀会に出席。究極の業績に裏打ちされた雰囲気はすばらしかった。いい仕事をしたいと純粋に思った。最近のうるとら多忙な生活でトロケそうになった心にカツが入った。帰り際に、のーべる賞お願いしまっす、といった。にこにこ笑顔が返ってきた。  近ごろ、「物理学とはカクカク」、「学者たるものシカジカ」とかいった辛口評論をWEBでみかけることがある。ナルホドと感心する内容ばかり。でも、そんなヘリクツなんかより、やっぱ、ココロふるわす「かっこいい論文」がいいわ。To be continued ... 

  *** 追記(20094) ***  ちなみにK=小林、M=益川。ついにのーべる賞とられました!!それにしてもM先生は相変わらずおちゃめで感動的です(20年前、基研の古い建物(湯川記念館)で数年一緒に過ごしました。英語はほんとにしゃべってなかったなー)。

  *** 追記(2021年7月) ***  益川さん、亡くなられました。ご冥福をお祈りします。

徒然その7:ラフリンの「かっこいい論文」

  分数量子ホール効果の理論の草分け、ラフリンが実験家のStoermer, Tsuiらと共同で1998年のノーベル物理学賞に輝いた。物性物理に携わっている一研究者としてはたいへん嬉しい知らせである。物性物理は、長年にわたって蓄積された膨大な知識を着実に学びつつ最先端の理論や技術をマスターしなければならない「筋金入りの学問」である。ラフリンらのノーベル賞を契機に、ますます多くの学生達が筋金入りの物理に興味を抱くようになってほしい。  分数量子ホール効果の本質をみごとに解き明かしたラフリンの原著論文を「かっこいい」と賞した先輩がいた。この数ページの論文を見てみると、量子力学の基礎中の基礎である変分関数に基づいた計算が行われており、最近はやりの場の理論や難解な数学は現れない。このようなシンプルな理論が、これほどまでに現象の本質をつき、新しい概念を構築したことは驚きである。「かっこいい」といった人の気持ちがわかるような気がする。  最近、理論研究室を希望する学生の中に、かっこいい理論をやりたいという人がわりにいる。このようなあこがれは優れた研究成果を生み出すための原動力の一つであると思うが、できれば、このあこがれはラフリンのようなかっこよさに対するものであってほしい。新聞記事をみて「かっこいい理論」をやりたい、と感じた次第である。   (固体物理(1998年)に掲載)

徒然その8:げんとるまん?

  名前に対する思い込みには、時に奇妙キテレツなものがある。うちの奥さんは、ゲルマン・西島のことをずーっと「ゲントル西島」と勘違いしていた。披露宴スピーチでの高貴な雰囲気に感動し、それ以来、勝手にそう信じ込んでいたようである。ゲントルとはgentlemanを縮めてドイツ語風に発音したものであり、平易に言うと「紳士西島」ということである。物理の人たちは、多大な敬意を表して必ず「ゲントル西島の法則」と呼ぶものだと信じていた。また、三輪・神保のことも、変な名前だねと常々いっていた。これもずいぶん後に発覚したが、ご本人は「三輪じんぼー」という偉い数学者がいるのだと思い込んでいた。南辛坊のたぐいの名前と思っていたのである。じんぼー、そりゃ、やっぱ変っす。かくゆう本人さんも、かつてレニングラードに滞在したとき、Junkoのことを最初はロシア風に「じゃんか」と、かわゆく呼ばれていたが、そのうち「じゃっきー」とかに変形し、最後には「じゃんきー」などと間違われていた。ほとんど中毒。ま、応報ですか。

徒然その9:瞑想

  何やら思いつくことが、たまにある。 M2になったばかりの春。ずっと考えてあぐねていたことに、一筋の光がスーッとさす。誰も気にしないような些細なことがカギになる。たちまち、すべてが透き通る。でも計算はしない、一瞬で藻屑と消えてしまわないように。腕組みして、うつろな目で瞑想する。解ける、間違いない。これぞ至福のとき。 たまに思いつくことがある。それは心に刻まれたささやかな喜び。これをたよりに、またずっと悩み続ける。

徒然その10:駆け出し

  目の前に出ると緊張してしまう、たいへん尊敬する先生が2人います。南部陽一郎先生と西島和彦先生です。 この写真は 西島先生の文化勲章受章パーティ(2004年)でのツーショットです。世界のナンブの鋭い眼光の下、カエルのようになっているぺーぺーの若者が私です(本当は若くないのだけど「駆け出し」に見えてしまうのです、残念。でも、何故かおそろいのすーつギリっ)。研究で直接のご指導は受ける機会はありませんでしたが、この先生方には物理の崇高さを教えていただきました。両先生の物理に対する毅然とした態度は、ずーと色あせることなく感動的です。このような感動は、私の研究の原動力となっています

  *** 追記(20094) ***  世界の南部先生ついにのーべる賞とられました!!2つくらいもらってもよいのでは。。。西島先生、2月に亡くなられました。心より尊敬していました。新聞で追悼記事を読みました。最後まで素晴らしい人でした。ご冥福をお祈りします。

  *** 追記(20157) ***  南部先生、75日に亡くなられました。真の天才と、ずっと憧れていました。ご冥福をお祈りいたします。

徒然その11:こころ安らぐもの

  疲れて帰ったとき、玄関に散らかったちっちゃな靴。さんすう、こくご、キティちゃん、ドラエモン、数学、英語。カオス状態の居間。「おとーさんのオヤジギャグ、しけるねー」という兄妹の会話。「体大丈夫か。あんまり無理すんなよ」年老いた母からの電話。「うまくいかなくっても別にいいやん。好きなことやれば」妻の言葉。心安らぐもの、それは大切なもの、そして護りたいもの。

徒然その12:「無題」シャトーと宇宙人

  この何ともいえないバビルの塔のようなものに降り立った 宇宙人 は何を思うのであろうか。猫らしき動物は金魚のようなものを追っかけ飛び降りてしまったようだが、怖いので目を瞑ってしまっている。見守る宇宙人には3本の毛があり、オバQのようでもあるしアンパンマンのようにも見える。いずれにせよ、この「無題」のこころが読めたらをしめたものである。一流の仲間入り、かもしれない。追伸:まる文字も好きです。(退官記念に描いてもらった宝物)

  *** 追記(20094) ***  西島先生、ありがとうございました。多くのこと教えていただきました。淋しいかぎりです。。。黙祷。

徒然その13:我が家のニュースター

  2006年夏 大学から帰ってくると家族が一人ふえていたのじゃー!!!その名は パル。我が家のスター・・・ハムスター!!!(なんちって) 暴れん坊のオス♂ 今はいい小屋で窓をよくガリガリとやっているのじゃー!!! かまない事の方が少ない真っ白けっけのにくめない奴。長生きしてくれーー。(文責:my daughter しょこたんデス、そこんとこヨロシク)

徒然その14:ゼロデシベルのおとこ

 「ゼロデシベル」、いい響きである。ウキペディアによると、人が聞くことのできる最小の音があるらしく、それが聞こえるとゼロデシベルである。人間ドックに行くと、私はしばしばゼロデシベルの称号をいただく。「ゼロデシベルのおとこ」、鉄腕アトムのようでかっこいい。困ることもある。真夜中に洗濯機の音が気になって寝れないと奥方に言ったら、全く何も聞こえない、洗濯機回っていない、と。次の日、道を隔てた家の洗濯機であること判明。うーん、鉄腕アトムとだいぶ違う。。。みっしょんいんぽっしぶる、みたいなカッコいい使い道ないのか。。。

徒然その15:加茂川と糺の森

 加茂川をこよなく愛しております。 京大物理より自転車で5分くらい。 季節のよい時には、抜けるような青空の下、加茂のせせらぎをBGMに瞑想します。 よいアイデアが生まれることも、まれにあります。それ以上に、リラックマ。。。 加茂川散策の後の「糺の森」(下鴨神社)もすばらしいです。 自然が町に溶け込んでいるようです。 下鴨神社の東隣には、川端康成の住んでいた下鴨泉川亭があり、その南に面して谷崎潤一郎の石村亭。 そこからすぐの所に湯川先生の邸宅。 うーん、あかでみっく。 帰り道に阿闍梨餅、矢来餅、甘党の店が。。。 寄る年波に抗う力もなし、いただきます。

徒然その16:さつきの大文字

 2012年、ゴールデンウィークの初日。いつものように大学で一仕事したあと、大文字に登った。少し汗ばむ感じ。でも、素晴らしい日となった。小高い大文字山から見下ろす京都は、言葉にできない。「空に向かって抜けるような加茂川の開放感」と対照的である。ともに新緑の訪れを爽やかに教えてくれる。デュアルという言葉が思わず浮かんだが、専門用語か? 花粉が終わり暑くなるまでの初夏の楽しみ、毎年心待ちにしている。皐月の大文字と加茂川。。。こころ安らぐひととき。

徒然その17:集中力!

 小さいとき、歩きながらよく電柱にぶつかった。溝にも落ちた。考え始めると、まわりの景色が見えなかった。 大学院の時には図書館前の池に落ち、向こう脛を強打して病院へ。 初めての研究成果が出たときは、大学に泊り込んで一週間ぶっとーしで計算をした。食べては計算し、傍らで少し寝て計算し、トイレに行き計算し、また少し寝て計算した。「ただ、自分の答が正しいのか知りたかった23の夜〜」 最近、邪念が入る、散漫になる。あの予算は、あの議題は、あの委員は、あの学生は、怒涛のように仕事が押し寄せる。もう一度、池に落ちるほどの集中力を。。。リハビリ中。

徒然その18:年寄りになりつつあるものの楽しみ、京都編

 最近の土曜の楽しみに、Bマイナス級ぐるめと京都老舗めぐりがある。 Bマイナスでは、京大のまわりで「見た目超やばい食堂を見つけ、いったいなんで潰れないんだろう?」と安い定食を食しながら、あれこれ思いめぐらす。最初は暖簾をくぐるのにもちょっとした勇気がいる。腹ペコ大学生のいきつけ、地元ティお気にいり、タクシー運転手が常連客。。。答えは割と簡単にみつかる。 後者は、いわゆる「御なにがし司」という類の京都の老舗である。室町時代創業、皇室御用達、表千家・裏千家御用達。。。昔ながらの佇いや素朴な味は、心をいにしえへと誘い、ほっこりとさせる。両極端ではあるが、歴史の街、学生の街の京都ならではの楽しみである。

徒然その19:ウルトラマン・れっど/ぶるー

 ウルトラマンのぬいぐるみ。兄と妹だから、すなわち青と赤、当然のように思っていた。が、甘かった。赤がいい。。。青の「への字」の口が気に入らない。真剣勝負のじゃんけんで負けた娘が青。でも、いらないと泣いた。夜中に四苦八苦して口の糸をほぐし、なんとか やや柔和なウルトラマン・ぶるーにした。次の日、娘が受け取ってくれた。ともに二十歳を過ぎた今でも、ウルトラマン・れっど/ぶるーがそれぞれの部屋に飛ぶ。少し淋しくなった部屋に、思い出がシュワッチとよみがえる。

徒然その20: 基研の古びた部屋、走馬灯のように

  基礎物理学研究所の旧館、 思い出あふれる特別な場所。 1989年着任のころ、基研のスタッフは全員で10人ちょっと、学生ゼロの時代。 ギシッ、ギシッ。。。 年季の入った旧館は、夜には幽霊屋敷のような趣をかもしだした。 新たな研究の方向性を模索していた私は、ここで素粒子論の 梁成吉さんと出会った。  当時、物性にはほとんど浸透していなかった共形場理論 (CFT)。 異分野の共同研究ということもあり、うまくいかない日々が続いた。 ある日、混沌とした霧の中にスーッと光が差し、視界が一気に開けた。 CFTを強相関系に応用できる! 基研の古びた部屋で深夜まで楽しんだ物理。 愚痴をこぼし見せた本音。。。 兄のように慕った梁さんとの別れから、もう20年。 今でも、基研のサロンに静かにたたずむと、当時の風景が走馬灯のようによみがえる。